当たり前の様に
男子が女子を好きになるように
当たり前の様に
女子が男子を好きになるように
『性同一性障害』
と言われている方々もまた、同性を当たり前の様に好きになる。
そこに偏見を持つ人に問いたい。
あなたが今、愛して結婚までした相手を自分を
非難されたらどうだろう?
気持ち悪いと言われたら?
世間に味方してくれる人がいなかったら?
『とても孤独になります』
孤独なんて括りでは、表現できないほどの気持ちになるでしょう。
私は女性が好きなノンケです。
しかし施設で育った環境をはじめ、いじめられた経験や尖ってた時代
『腫れものを触る顔で見られる』ことを体感してなお、自らも意図して孤独をこの身に刻みました。
自業自得なのは頭でわかっていても
味方がいない
みんなに笑われてる
同情されている
そんな“目”を感じ、随分と暗い道を何年も歩んで来ました。
そうした経緯から、少なからず『偏見の目』を感じる経験をさせてもらいました。
それに比べ、同性を好きになってしまうことは
自分で選択できただろうか?
異性を愛することを、同性を愛することを自分で選択出来たなら、こんなに苦しんでる人たちが世界中に溢れただろうか?
人には必ず、人と違う個性を持っています。
・生まれつき障害がある
・鬱の傾向がある
・見えるところに大きなホクロや痣
内面/外面問わず必ず個性を持っています。
何もないと豪語する人も、そこが個性だと思います。
万人受けする個性かどうかは、時代によって異なるけれど
それを非難/中傷して良い訳がない。
仮に異性を愛することが汚いとされる時代なら、大半の人にとって苦しい時代であったでしょう。
自分の息子/娘が『同性愛者』であることが“恥”だと思うのであれば、生んだ罪を自分に問い、牢獄に入って悩むほどに。
自分の固定概念を改めなければ
血のつながる我が子の心にさえ気が付けません。
まして“人の苦しみ”を知る術はありません。
孤立した世界で“人の痛み”に触れるその日まで。
(心に残したいフレーズなので敢えて強い口調でものを言わせて頂きました)
自分で受けた痛みの大きさで寛容になれることもあれば、その経験がコンプレックスとして殻にこもることもあります。
何より大切なのは
『気が付くか』
『気付こうとしたか』
『気付く努力をしたか』
自分の息子/娘が兄弟が友達が、痛みを抱え暗闇を歩いてる最中
常識だの、まともにさせたいだの、そんな息子/娘を持った私が悩んでるだの言ってないで。
ただ、ひたすらに今も傷ついた言葉に(自分の居場所でさえ息苦しい)思いをしている大切な人の“心に気が付く”努力をすることで親にも子にも“道”が見えるのではないでしょうか。
同性愛者の方々は今も孤独の暗闇を歩いています。
しかし、親の立場で純粋に心配なのも勿論分かります。
世間様から息子/娘が『白い目』で見られることを想えば…
親は自分が社会を知り、その裏側や噂の怖さを知っているから我が子に苦労はさせたくない…
しかし、息子/娘も親の「心配は」痛いほどわかっているけれど、私たちが異性を“当たり前”に好きになるように、同一性の方々も同性を“当たり前”のように好きになることを前提に理解に努める工夫があればこそ歩み寄りはあっても、心が離れることはありません。
(どんなに立派な人も元は子供、ストーブが熱いから触ってはダメと親が子に言ったところで、実際に触れて熱いと“気付かなければ”ストーブの怖さを知れないし学習も出来ません。)
息子/娘は親に何を言っても味方になってくれないからと素直になれないこともあるでしょう。
それでも、純粋に同性を愛する気持ちは止められないし止まらない。
赤の他人に笑われても良いけれど、血のつながった親に味方になってもらえなかったら
誰を味方にすればいいの?
どこに帰る場所があるの?
何を信じることが出来ましょう?
親は、息子/娘の持つ悩みに理解できても、すぐには同意は出来ないでしょう。
親もまた子を愛するがゆえに、苦労は掛けたくないと。
いばらの道と知ってて、橋渡しをする親がどこにいると・・・・
心ある親も泣いてます。
心ある娘/息子も泣いてます。
全ては時代が作り上げた常識観念に悩む性。
そして時代は時に人を悩ませ死に追いやることも警戒しなくてはなりません。
若い人は尚更です。
親にできることは受け入れられなくても
理解することと味方であること。
子供にできることは自分を信じること。
社会経験のイロハも生き方のイロハを学ぶ前に、常識と言う名のプレッシャーに潰され尊い命を落としてしまう人もいます。
私は言いたい。
“常識”は確かに大事。
でも、もっと大事なものがる。
それは、いつの時代も一緒。
自分の決めた“ルール”に胸を張る事、貫くこと。
万人に受けなくても良い、大切な人にさえ理解してもらえれば。
叶わぬ恋でも良い、自分が決めた道ならば。
自分が思っているよりも、遥かに世界は広い。
たった一度の人生だもの
自分の選んだ道に恥じることなく、思いっきり人生を楽しもう。
万人があなたを理解しなくとも、私はまだ見ぬあなたの味方です。
私もそうして“知りえない人たちの目”によって救われた経緯があるから断言できること。
一人の世界じゃないのだから。
独りになりたくたって
ひとりには成れない。
だったら思いっきり人生を楽しんでも良いじゃない。
個性に苦しんでいるのは自分だけでもなく。
みんな人知れず“葛藤”と隣り合わせで懸命に生きている。
今を苦しむのはまだ見ぬ世界があるという地点にいるにすぎない。
自分で踏み出した一歩その先にある景色は自分次第で広がる。