2010年4月6日
ふと13年前、妹のように可愛がっていた3つ歳下の女子高生に話したことを思い出した。
彼女とは、先輩の紹介で知り合った子だった。
彼女はソフトボール部のキャプテンで、とにかく人気者になりたい!
けれど思ったように周りのみんなが自分に関心持ってくれないと真剣に悩んでいた。
そんな彼女に私はこんなことを話しました。
『物の一生』
当時(18歳)の私は、自分の部屋を見つめて真剣に考えていた。
目の前に広がる、一つ一つの“ものたち”
電気スタンドやカーテン、蛇口にコンロ
これら全ての“形あるもの”に生命(いのち)があるにちがいない…
徐に漂う生命の空気に意識を通わせながら、テーブルに乗せられたタバコにそっと火をつける。
宙に舞う煙を眺めながらタバコの生涯を空想した。
タバコの一生…
太陽が照りつける大地で育ったタバコの葉は、人の手によって摘まれ機械により“タバコ”として加工される。
目の前に広がる、一つ一つの“ものたち”
電気スタンドやカーテン、蛇口にコンロ
これら全ての“形あるもの”に生命(いのち)があるにちがいない…
徐に漂う生命の空気に意識を通わせながら、テーブルに乗せられたタバコにそっと火をつける。
宙に舞う煙を眺めながらタバコの生涯を空想した。
タバコの一生…
太陽が照りつける大地で育ったタバコの葉は、人の手によって摘まれ機械により“タバコ”として加工される。
狭い箱の中にギューっと詰められたタバコたちは、やがて着火によってその身を焦がす。
煙となって宙を舞い灰へと姿を変える。
なんと儚い一生だろうか。
そこにあるパンも、布団も壁も壁の中にある木材も…
生命として認識されていない一つ一つの“形ある物の一生”を
自分なりに、どんどん考えた。
そして数日間考え抜いて、最後にたどりついたのは石だった。
山に眠る石や長い年月を経て川を移動する石たち…
人の目に触れない石や見向きもされない石たちの気持ちになろうと、川原に行って石を拾ってきて、自分なりに思いつめた。
毎日変わることのない景色に佇む石はただひたすら時の流れに身を委て日々を過ごしてる。
雨が降ったらお引越し、違う種類の形の違う石たちに出会って仲良くなってはお別れを繰り返す。
少しずつ、少しずつ、その身を削られながら…
それでも必死に“石”であり続ける石たち。
本当は鳥になりたかったかもしれない。
本当は魚になりたかったかもしれない。
それでも石は、石の形であり続ける限り一生を石としていきていく。
こうして考えたことを、すべて彼女に語った。
気が付くと彼女は号泣していて私にこう言った。
『自分が小さく見えました』と。
数日後、彼女から嬉しい知らせを受けた。
この間私から聞いた話と自分(彼女自身)がどう思ったかの感想を周りにはなしたら、それをきっかけに休み時間にみんなが私の周りに集まって来てくれるようになったと。
それから毎日休み時間になると私のまわりに人が集まってくれて、毎日が本当に楽しくなりましたと、お礼を言ってくれた。
私は彼女に『それは、きっと君が素直な心で友達に接したからだと思うよ、毎日が楽しくなって良かったね。自分のことのように嬉しいよ』
そう伝えると、なおも感謝の言葉を重ねてくれた彼女の笑顔に私も大いに勇気づけられた。
その後、彼女はモデル業に進路を進めるべく東京に行くと話していたのを最後に、私の事情により連絡を途絶えてしまった。
そんな頃のお話を思い出しました。
話は変わりますが、すっかり雪も溶けて来て
春の匂いがして来ましたね!
^^
桜の開花が待ち遠しい今日この頃。