命の締切 -生きると向き合う大切さ-

2013年4月2日

命の締切


誕生にありがとう。
旅立ちにありがとう。

もっとに誕生していたかも知れない。
もっと近年に誕生していたかも知れない。

それでも、今の時代に生まれて。
同じように今を生きるみんなと出会うことが出来た。

きっと、今も昔も一緒だったんだろう。
泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり。

気が付かないところで支えられて、気が付いて支えていたんだろう。

嬉しいね。生きるって。
ずっとずっと生きて、色んなことをいっぱい見て感じていたい。

1年生きる人。
10年生きる人。
100年生きる人。
みんな一緒。
瞬間に凝縮された喜び

お腹の中で聴いた音楽、外の世界で聴いた風の声、季節に歌い季節に笑う日々。

1日1日を長く感じた日。

1年があっと言う間に過ぎ去った日。


どれもこれも、生きてこそ感じ得た喜びと悲しみ。

素直になれない人は素直になれない人の気持ちが分かるんだよ。
たくさん泣いた人は、たくさん泣いてる人の気持ちがわかるんだよ。
いっぱい頑張った人は、いっぱい頑張った人の気持ちが分かるんだよ。

ダメなお母さんなんていない。
ダメなお父さんなんていない。
ダメだと思っているから、自分がしっかり出来る。


いっぱい愛情もっらている人は、いっぱい愛情をもらっている人の気持ちが分かる。

自然災害、戦争、引きこもり、虐待、いじめ、家庭環境。
選ばれた人に訪れる運命。 その1分1秒に生死の錘がのしかかる苦しい苦しい時間。
逃げたくて、泣きたくて、泣けなくて、重たくて、つらくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。

自分だけが不幸なのかもしれない
そうなんだよ。
痛いのは自分だけだもの。


そんな痛みもやがて、長い時間を経て。
何年掛かるかな。何か月掛かるかな。
どんな苦しみにも、みんな平等に終わりがくる。

その時になって初めて気が付くのは、痛かったのは自分だけじゃなかったと言う気持ち。

リレーで走っている時は必死に走るでしょ。
みんなのため、自分のため、負けたくない、もうだめかも。


ゴールが出来て振り返ると、仲間も同じ気持ちで走っていたことに気がつく
頑張ったのは自分だけじゃなかった
苦しいのも自分だけじゃなかった

人生には数えきれないレースの連続で、勝ったり負けたり挫折したり。
時には試合放棄したり。
それも全部経験。無駄なことはひとつもない。
無駄な人なんていない

どんな犯罪者であろうとも、どんな善人であろうとも一緒。
私たちが笑顔で歩く道を懸命に歩き生きる小さい虫も、そこが危険だと悟から学ぶ。
人も動物も自然も危険と向き合って生きる

生きるって、時に残酷で卑劣で無残で恐ろしい
それでも生きるって、無数の言葉を並べても追いつかないほど素晴らしい。
そんな世界の今に、出会えたことをありがとう

もしも自分が、あと5年以内にお別れするなら何をしようか?
自分とどう向き合って、受け止めて、突き動かされて、懸命に生きようか。

きっとみんな考えたことがあるテーマの“死期”
漠然と考えていた時代、病気で倒れて考えさせられた人、心折れて感じた人。
たくさんのシーンで、自分なりに考えて考えて考え抜いた末に今を生きている人。
今も考え中の人。これから考える人。

死の先になにがあるのか?
私は“”らくだと思うんです。
極めて楽 “極楽
死の先に楽があるのなら、今のうちにいっぱい苦しんで、頑張って、走って、その分いっぱい笑おうと思うんです。

地上にある極み“地獄”を生きて、地獄で極めつけの笑顔を振りまいて人生を謳歌してやろうと思うんです。
独りで笑っても余ってしまうので、それをみんなにもお裾分けしようと思うんです。
おせっかいでしょ^^

それが、私の余命の楽しみ方。
5年って言うことは、楽しい夏の思い出作りも後4回かな。5回かな。
何より1回1回、1日1日、1秒1秒、大切にゆっくりしっかり楽しもう。

そして、感じていることをいっぱい伝えて。
日常の些細なことで心が折れない強さの種をばら蒔いて、少しでも今を苦しむ多くの人が、大切な“時間”を前向きに笑顔で過ごせるように努めよう。

あっ!
こんなこと書くと“なんだこいつ?”と思われるかもしれませんが(笑)
心配されたい病でも厨二病でもないです。

今を生きることと『向き合う』大切さを伝えたいだけの独り言です。
最低でもあと70年は生きる予定なので心配ご無用で御座います。
(^-^*)/

また折りを見て、この話の続きを綴って参ります。

刺道より

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